ケンキミュージアム

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1930~1940年 読む

 戦前、農地開発へのニーズからトラクターの生産が始まり、対戦中は、空港施設などにおける建設の機械化が求められた。ブルドーザーの誕生により、わが国における本格的な建設機械の歴史が始まる。

コマツ ブルドーザーG40[小松一型均土機]
(1943年)

コマツ ブルドーザーG40[小松一型均土機]
コマツ ブルドーザーG40[小松一型均土機]

 第2次世界大戦開戦から1年が過ぎた1942年12月、空港基地建設に使用する目的で、海軍より重土工機械の生産要請があった。短納期が要求されたため、1からの開発ではなく、既存のG40ガソリントラクターをかき集め、それに油圧装置とブレードを装着するという改造が行われた。これが「小松1型均土機」と呼ばれ、日本のブルドーザーの元祖となった。終戦までに148台が生産された。

重量:5500kg

 これら戦時中に生産・開発されたブルドーザーの中には、海外輸送が行われたものもあったが、そのほとんどが途中で撃沈されたといわれている。

 そのような中、フィリピンで稼働していたG40が、終戦後アメリカに接収され、他の兵器とともに海中に投棄されたが、後に引き揚げられ、そのうちの1台がなんとオーストラリア・シドニーの農場で使用されていたことが分かった。

 1979年、このG40は35年ぶりに、故郷日本の石川県に帰還。マスコミを賑わすニュースとなった。

ブルドーザー 読む

 初期のブルドーザーは、農業用のトラクターに、ブレード(排土板)を取りつけたものだった。戦後の開発、高度成長期における大規模工事など、日本の躍進の歴史はブルドーザーの歴史とも言えよう。油圧ショベルの台頭で、国内における需要は減少したものの、大規模鉱山を初めとした世界中の過酷な現場で、今日も高い技術が息づいている。

ケンキミュージアム 日本のブルドーザーの歩み
ケンキミュージアム 日本のブルドーザーの歩み